異性スキルライセンス 熟年ラブ 大人の恋 アラフィフ・アラカンブログ

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女の最高の色気とは… 「臈(ろう)たける」


若者用語と呼ばれる新しい言葉が
増えているけど、あまり深い意味はなさそうに思う。
軽いようにも感じる。


ほんとうは日本語は美しいのに、
もっと美しい日本語があるのに
そっちを学び、
リバイバルさせてほしい。


ほとんど見かけない死語になった言葉、
「臈(ろう)たける」


辞書には
主に女性の気品溢れる美しさを形容して用いられる表現。
洗練されていて美しいこと、
または、様々な苦労や経験をして成熟していること。
「﨟長けた(婦人)」
「目覚めるような臈たけた美しさ」


成熟して、洗練されていて、気品がある、
そういった美しさがある。
透きとおるような美しさがある。


女性の形容に用いられるけれど、
それに近い人はいるけれど、
100パーセント、
そんな女性にお目にかかったことはない。


上皇后美智子さまぐらいかな。


微笑み
気品 穏やか、心のゆとり、慈しみ
謙虚、言葉が洗練


人間だから、
怒りも腹ただしさもきっとあると思う。
美智子さまの険しい顔なんて
少しでもそういう表情、一度も見たことない。
我欲が少ない人なんだろうな。



樹木希林の著書『一切なりゆき』の中で
こんなことを言っている。

なんでも「私が」「私が」という。世の中が「私が」を主張するようになってきたということは、そういうことをしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかなと思うんです。そう考えれば女って哀れだなと思うところでいとおしくはなりますけれども、「私が」と牙をむいているときの女というのは醜いなあというふうに思うわけですね



「私が私が…」と攻撃性が強まるほどに、
満たされなさや報われなさに苛立ち
哀しくもあり、醜いと言っている。


自己主張はたいせつ、
だけど自我が強く
あまり掘り下げてものごとを考えず、
そして言葉も選ばす、
行動にうつしてしまう。


しっかり考える作業を経てこそ
品は出てくるものだろうね。


でないと、単なるうるさいだけになる。


希林さんは
「つつましくても色っぽいというのが、女の最高の色気だと思います」
と言っている。