作法 人の中に仏を見る 心身一如
昨今忘れ去られたようになっている礼儀作法、
マナーと作法の違いを調べていたら、
マナーは日本語では行儀、
作法とは美しく見せるための技なんだとか。
マナーが悪いと言うけど、作法が悪いとは言わない。
お茶、お花の作法などだ。
茶道華道に通じた方は美しい動作をする。
実は僕が彼女に惚れたのは
花を活けている姿が
とても女性らしく、品位を感じ、
美しく見えたというのもある。
この作法なんだけど、
人の中に仏を見る道元(鎌倉時代初期の禅僧)は、
こまかな一つ一つの動作や行動、
つまり一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に注目した。
人間の行(おこな)いのひとつひとつが
天地のすべてにつながっているという。
だから作法においても徹底している。
食事、掃除、手洗い、
トイレの入り方、お風呂の入り方、
眠り方等々
禅宗のひとつ曹洞宗(そうとうしゅう)の門をたたく、つまり弟子入りすると、
徹底して作法をたたき込まれる。
「心身一如」
からだは心、からだ全体=心
心とからだは切り離すことはできない。
からだ全体と心をふたつにわけられない。
そういえば、
からだがまっすぐなときは
心もまっすぐになる。
作法は仏の道につながるのだ。
毎日作法をたたみ込まれた修行僧は
だんだん美しくなっていく。
作法を身に付ければこわいものなし、
モテ度が一気にアップするだろうな。
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