異性スキルライセンス 熟年ラブ 大人の恋 アラフィフ・アラカンブログ

日常のさまざまを発信しています。大人の恋も…ブログで綴りべんきょうしています。

余命は充実した毎日を過ごせる?内からのエネルギーが…余命宣告 


「一度でいいから見てみたい 妻がヘソクリ隠すとこ、歌丸です」


「笑点」でお馴染みの
桂歌丸さんが死去された。
享年81歳だった。


歌丸さんはこれまで大変多くの病を患ってきたようだ。
その都度、もうダメだなんて、
気弱な気持ちになったんじゃないかと想像できる。


最後まで現役にこだわったのは、
お客さんの期待もあるし、
限られた時間しか生きられない
というのもどこかであったんじゃないかな。


腸閉塞で入院しているときに妻に
「引退してもいいか?」
って聞いたことがあって、
「でも引退したようだ後、お父さん何やるの?」
言われたようです。
奥さんの声かけ、バックアップもあったみたい。



著名な人が亡くなると、
ときに昭和の時代のメディアで活躍した人だと、
ついその当時のことを思い出す。



いろいろな亡くなり方はあるけれど、
癌で亡くなられた人は
まだ元気な早い段階から
余命○年 余命○ヶ月と宣告され、
その後癌とたたかっていく。


つらい抗癌剤等で癌治療していくわけだ。


有名人だったらよくメディアに採りあげられている。



エリザベス・キューブラー=ロスの
ベストセラーとなった
『On Death and Dying(「死ぬ瞬間 死とその過程について」)』


人は余命が限られていると知らされると、
それを受け入れるまでに
以下の5つの段階を経ると言っている。


個人差はあるけれど、一般的に以下のようになるとのこと。


第1段階
ショックのあまり、事態を受け入れる事が困難な時期


第2段階 
「どうして自分がそんな目にあうのか?」と、
心に強い怒りが込み上げる時期


第3段階
事態を打開しようと必死になる時期


第4段階
事態が改善しない事を悟り、気持ちがひどく落ち込む時期


第5段階
事態をついに受け入れる時期



僕だったら第1からすぐに第4となる。
5段階は、受け入れられるのかなー
なんて思う。


メンタルで弱いところがあるので、
きっと無口になり、
死におびえている自分を想像してしまう。


どうなるのかわからないけれど、
精神的なダルージを考えると、
余命宣告もいらないなーなんて思う。


しかし『死』を意識したとき、
『生き方』はやはり変わっていくだろうな。


みんな誰でも自分はいずれ亡くなるんだということ、
案外忘れがち、というよりそんなこと考えない。
命は永遠なんて思っているかもしれない。



平均寿命がその時ならば、何年後亡くなるのだから、
逆算してその最期に向けて人生を歩んでいかなければならないから、
生きることの大切さを知り、
充実したものになるのではないか。


それが短ければ短いほど、
ぎゅっと圧縮したような中味の濃い人生になる。


残された命があと少しなのだから、
ぼーっとなんてしていられない。


まだからだの動ける段階だと、
自分のやりたいことをきっとするだろう。


まわりのことなど、
相手のことなどお構いなしに
大胆に生きていけるような気がする。


まさに怖いものなしの状態だ。


気を遣うことじしん時間がもったいないので、
案外自分の意志だけで
まわりを気にせず動くのかもしれない。


あれもしたい、これもしたいと。



最近時間がもったいないと思うようになったので、
ひょっとして僕の死期は近いかもしれないな。


実際余命を聞かされたら、
もっとアクセルを吹かし
オーバーヒート気味に生きていくような気がする。



アクティブ過ぎた毎日になるだろうな。
迷うこともなく、前に突き進んでいくだろう。


そして、悔いの残らない人生にしようと
動いていくと思う。


余命を知ったことで
内からのエネルギーがドバっとね…。