異性スキルライセンス 熟年ラブ 大人の恋 アラフィフ・アラカンブログ

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「無門関(むもんかん)」 何も考えない…

「無門関(むもんかん)」
というのを知った。


中国宋代に無門慧開(むもんえかい)によって編集された禅の教えだ。


禅の修行は厳しいと聞く。


だけど、
雲水(修行僧のこと)は永平寺で毎日修行している。
何をしているのかといえば、
与えられた仕事を
ただこなすだけなのだ。
坐禅や読経、
毎日わたしたちがしている食事、掃除洗濯、
時間を守り決められた生活、
ただ淡々と暮らしているだけ。
刺激のない暮らしを365日続けている。


生活が修行なので、
これが禅の修行というものはないみたい。


何気ない日常生活が修行そのもの。
だったら、わたしたちの生活も修行かな。


ただ、禅の修行というのは
心を整えることに主眼が置かれている。


坐禅などがそうだ。
ただ座っているんだけど、
心を整えているみたい。



「無門関(むもんかん)」
その中に「不思善、不思悪」という言葉が出てくる。


善いことも
悪いことも考えるなということなのだ。


心が沈んだとき、落ち込んだとき、
ふつう悪いことは考えずに善いことだけを考えよと、
よく言われる。


この世のことを善悪という二分法あるいは、
対立的にものごとを考える思考が
いけないということなのだ。


善を考えても、
悪と相対的にみるから悪も考えざるをえない。


善いことだけを考えられないのである。


そしたら、
いっそ何も考えない方が
心を惑わせることはないということ。


なるほど、何も考えないというのも
辛い世を生きていく上での智恵かもしれない。



しかし…、
何も考えないって
難しいよな…。