異性スキルライセンス 熟年ラブ 大人の恋 アラフィフ・アラカンブログ

日常のさまざまを発信しています。大人の恋も…ブログで綴りべんきょうしています。

さびしいとは… さびしくなったら 共感的理解


ブログを綴ることにおいて、
みなさんもさまざまな理由があると思う。


彼とのこと、
人に言えない恋愛を
どこかで残しておきたいとか、


彼とけんかが多く、
不満のはけ口にしている。
綴って吐き出せたらすっとする。
ストレス発散のためとか。
恋はとかく感情の浮き沈みが多いから、
凹んだりして
結構ストレスになるよね。



僕がブログを綴ったのは、
とくに理由はないけれど、
きっとさびしいからだと思う。


1人暮らしが長くなり、
ほんとうは好きでなった1人暮しではない。
必然的にそうなってしまったんだけど…。


さびしかったらもっと出かけて
人と交わればいいんだけれど、
それも疲れるので、
よく知ったご近所さん(70、80代のおじいちゃん)
だけで、とりあえずがんばっているかな。


彼女にももっと来てほしいけれど、
ハードな仕事やお家があるから、
わるいなーと思うから、
来てほしいは言わない。


古くからの知人や友達に対しても
寂しいなんて口で言ったことないし、
まして彼女にもそうだ。


「1人暮らしは自由でいいよ」
なんて、強がりを言っている。
意気地がないのに、
男のプライドだけあり、
弱みを見せないところは
困ったものだ。


「俺さびしい」
なんて言ったら、
とんできてくれる女性は理想なんだけれど…


女性に上手に甘える男がいるが、
ある意味、羨ましい。


弱みも訴え、何もかも心開いて
甘えることができたらいいのに、
って思う。



でもこうやって、
綴った内容にコメントもらって、
共感してもらえた時は、
さびしさを埋めれるから
不思議なものだ。


さびしさというのは、
「共感してくれた」
自分の想いを

「わかってくれた」
ときに解消される。


だから、さびしい人は
そういう共感してくれる
うなづいてくれる人が必要だろうな。


家族がいて、恋人もいる。
だけど、さびしいと思うのは、
やっぱり、そういう共感的理解を示してくれる人が
いないということだろうな。


だから、1人暮らしとは関係ない、
という結論に達した。


「わかってもらえた」
という感覚は何事にもかえがたい充足感がある。



もし、お相手さんがさみしがったら
とくに何もする必要はないけれど


「うんうん、そうだね」


それだけでいいんだよね。



NAO - HY(フル)