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飢餓感が感謝につながる? 人恋しさ 仙人生活


僕は元職場の人から、
「あなたの今の生活、まるで仙人みたい」
なんて言われた。


仙人とはどんな人か知らないけれど、
山奥でひっそり、ひとり暮らしている
人生の最後の住処、
人里離れた山中に隠棲している、
そんなイメージに映ったんだろうか。


隠棲で思いだしたけれど、
奈良県吉野山の奥千本にある『西行庵(さいぎょうあん)』がある。


西行というのは、
平安時代末から鎌倉時代にかけて生きた歌人だ。
西行法師(さいぎょうほうし)という。
『新古今和歌集』の代表的歌人の一人である


庵とは
小さい簡単な住居で、隠遁(いんとん)者が住む家だ。
ひっそりとしたところだった。
人里離れ、
あえて孤独を楽しんだのだろうか。
この地で3年を過ごした。
ここで歌をひねる。


西行法師も花を愛した人だ。
僕も花を育てている。
歌はひねらないけれど、
カラオケ設備があるので
歌は歌っている。笑


退職してからワンちゃんがいるから
中々出かけられないというのもあるけれど、
ほんと、買い物行く程度で
質素で地味な生活しているなーと、
自分でも思う。


どこへも出かけていない。


現職の頃は、
喧騒の中で仕事をしていた。


毎日しゃべる仕事、
毎日大勢の人と、
必ずその誰かとしゃべっている。


しゃべりたくない、
人とコミュニケーションは勘弁してほしいは、
通用しない仕事で、
寝るときだけが
静かになるといった生活だった。


退職後、その生活が一変した。


180度違う生活、
静かな日常、
毎日森林浴、
鳥はさえずり、
四季折々の自然との触れあい。


心にゆとりができた。
ゆとりでき過ぎ感が…。



だけどほんと…、
人と話すことはない。
今日は誰ともおしゃべりしていない
という日、結構あるんだわ。
一番近いお隣さんでも50メートル以上も離れている。


人と顔を合わすことすらない日がある。
家庭菜園で畑にいても、
ほとんど人が見当たらないという限界集落だ。


暑い真夏、寒い真冬なんて、
最近は都会でも、外に出ている人は少ないけれど、
なんかね、人類が滅亡して、
自分だけが生き残ったような感覚になるときがある。


ワンちゃんがいるから
一方通行だけど、話しかけたりできる。
がいなかったら、しゃべることもない。


さびしいというか、
人恋しい
誰でもいい、
しゃべりたい
人と会いたい


ような飢えを感じる。


お腹が減って、3日ほど何も食べなかったら
からだが飢える状態になる。
そんな
「人に飢える」ようになる。


お腹がへってペコペコ、
何を食べてもおいしい状態、
そんな飢えた状態でスーパーに行くと、
どの食材を見ても食べたい、
になる。


人に飢えると、
誰かまわずしゃべりたいとなる。


そんなとき、郵便配達の人、宅配の人、
水道やガス電気検針の人をつかまえて
こちらから声をかけたりするね。


現職のころ、周りは人だらけ
ひとりになることは
まずない。


毎日慌ただしい、
会話の中身もすぐに忘れ、
人に飲み込まれ濁流に流される、
そんな感じがした。


おしゃべりは
嫌ほど毎日ふんだんにあるので
人に飢えるなんていう感覚はない。


飢えるとね、
自分に相手をしてくれる人がいることが嬉しくて、
とても感謝の気持ちをもつ。

人に対して雑に扱うことはない。


とくに必要とされたときは
なおさらだ。
自分を必要としてくれる人には、
なんとか、力になってあげようと思うのだ。


そういう飢餓感って必要かなーって思う。



中々逢えない恋愛、
連絡取り辛い恋愛、
遠距離恋愛や婚外の恋は
飢餓感満載、
だからすごく会いたいと思う。
会えたら
「ありがとう」って感謝の気持ちが生まれる。
会い過ぎは相手に感謝する気持ちは薄れる。


年に数回しか会えないような婚外の関係の恋人同士もいる。
大事にしようとする。
そのほうがリスクも少ないし、いいような気もするなー。


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